嵯峨天皇、ライバル空海に完敗【日本史雑学】

空海と嵯峨天皇といえば、橘逸勢と共に三筆として知られていますよね。
二人はいつも書物のことで競う良きライバルでもありました。
しかし、嵯峨天皇はある書物がきっかけで、空海に負けてしまいます。
1. 嵯峨天皇の中国書物
ある日、嵯峨天皇がとある書物を持ってきました。
それは何かというと嵯峨天皇が手本にしている本で、嵯峨天皇は
「これは唐の人の書物でこれ以上に字の綺麗な人はいない、この書はとても貴重なものだ」
と熱弁しました。
すると空海は、、、
2. 空海の書物だった!!
「それは私が書いたものですよ」といったのです!
嵯峨天皇はそれをにわかには信じず、
「それは嘘だ。この書物の字体と今の空海の自体は違いすぎる。おかしい」
と反論しました。
すると空海は、
「軸を外して見てみればわかります」
というので、そうしてみると空海の落款※があったのです。
※落款とは、書画などに筆者が押す印
3. 国によって字体を変える
嵯峨天皇はなんで今と自体が違うんだ?と聞きました。
すると空海は
「国によって相応の字体に変えています。唐は大国なのでこのように書き、日本は小国なので日本では今の字体で書いているのです。」
と言いました。
その答えを聞いた嵯峨天皇はもう空海にはかなわないと思い、争うことをやめたそうです。