服部半蔵、家康の命令に背く!?【日本史雑学】

服部半蔵は徳川家康に仕えていました。
そんな服部半蔵が君主の命令に背いた話。
1. 全員“服部半蔵”さん
冒頭でもお話しした通り、実は“服部半蔵”という名前は、世襲制でした。
1代目から12代目まで、全員“服部半蔵”さんです。
みなさんが、ご存知の服部半蔵さんは、2代目服部半蔵こと、服部正成です。
冒頭でもお話しした通り、忍者だったのは1代目だけで、それ以降は普通の武士でした。

2. あだ名は「鬼の半蔵」
徳川家康に仕え、慕われていた服部半蔵。
実は彼は、その戦略の非情さから、「鬼の半蔵」と呼ばれていました。
3. 信長の怒り
ある日、信長は、家康に敵対する武田家との内通を指摘します。
(実際には、無実だったのですが、)
信長は、家康の息子である信康の切腹を命じます。

4. 家康の命令に背く
家康は、介錯(=首を切り落としてあげる役割)を半蔵に命じます。いかに信頼されていたかがわかります。
しかし、半蔵は涙ながらに
「三代相恩の主に刃は向けられない」と訴え、命令を断りました。
家康は、
「さすがの鬼も君主の子は切れぬか」
と言い、半蔵をさらに評価しました。