江戸の天才商人、紀伊国屋文左衛門の商売【日本史雑学】


「沖の暗いのに白帆が見ゆる、あれは紀ノ国ミカン船〜」という歌をしっていますか?

江戸の時代活躍した天才商人・紀伊国屋文左衛門が歌ったうたです。

彼の商売とはどういったものだったのでしょうか?


1. 嵐でもみかんを運ぶ

江戸では正月の時期みかんが大量に必要でした。

しかし嵐でみかんが届かない。

文左衛門は、嵐で他の業者は出荷できないだろうと考えます。

そこで彼は、紀州でみかんを安く仕入れます。

それを嵐の中命がけで、紀州から江戸まで届けようと考えたのです。

この作戦が見事に成功、彼は大儲けしました。

2. 塩鮭と風邪

江戸からの帰りのこと。大阪で風邪が流行っていると耳にします。

文左衛門はまた閃きました。まずみかんの儲けで、鮭を買いました。

それを大阪で「風邪に効くよ〜!」とうたい、売り裁きました。

3. 木材と江戸

当時の江戸では、頻繁に火事が起こっていました。

その修繕のために、木材の需要が高まっていました。そこで文左衛門はまたまた閃きました。

材木屋を経営したのです。これも大成功しました。

4. 豪遊と勧誘

彼は吉原などで豪遊していましたが、これは計算でした。

そこに集まる連中は彼に便乗したいという気持ちが少なからずある。

そうやって集まった連中に

「儲けさせてやるから、手を組もう!」

という戦略でした。

5. 幕府と事業

それに食いついたのが、幕府。

幕府は文左衛門に、幕府御用達の材木商になってくれと頼まれます。

そして、公共事業で稼ぎに稼ぎまくり、八丁堀に屋敷を建てました。

6. 政策と終わり

その後、経済引き締め政策が行われました。

公共事業も打ち切られ、彼の成功物語はここで幕を閉じます。

晩年のくらいは、貧困か?豪遊か?それはあなたの想像にお任せします。

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・https://www.ito-noen.com/mikanrekisi.html(アイキャッチ画像)

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