紫式部の娘・藤原賢子、母とは真逆の性格だった!【日本史雑学】

藤原賢氏といって、ああ、あの人ねとなる人は少ないと思います。
彼女はまたの名を、大弐三位(だいにのさんみ)と言い、紫式部の娘です。
天才の子は果たしてどのような人生だったのでしょうか?
1. 引き継ぎ
紫式部は生前、藤原道長の娘・彰子に女房&教育係として仕えていました。
紫式部の死後は、その役目を娘の藤原賢子が引き継ぎました。

2. 母とは正反対
紫式部はどちらかというと、恋に内向的で引っ込み思案。
対して、藤原賢子はイケイケのモテモテだったそうです。
タイプは違いますが、どちらも女房三十六歌仙に選ばれるほど優秀でした。

3. 白河天皇のお気に入り
白河天皇は藤原賢子を非常に寵愛していました。
藤原賢子がなくなった際には、亡骸を抱いて号泣。
食事もまともに取れない状態に陥りました。
また彼女の弔いのために円光院を建て、そこに遺骨を納めました。
文献が少なく以上になりますが、彼女は面白い人生を歩みました。
天才の子は天才と言った感じで締めさせていただきます!