坂上田村麻呂は嵯峨天皇のお気に入り【日本史雑学】

坂上田村麻呂といえば、初代征夷大将軍として有名ですよね?
(2代目だったといいう説もありますが・・・)
忘れている人も多いと思うので、今日は彼についてのおさらいをしましょう。
余談ですが、田村麻呂はイケメンだったらしいです。
1. 征夷大将軍って?
武家の棟梁という意味で使われたのは、実は後の方。
元々征夷大将軍とは「夷」っていう東の方のやばい人をぶっ倒すぞ!
という目的を果たす、役職のことでした。

2. 蝦夷との対立
その頃朝廷は、物流のために東北を支配しようとしていました。
しかし蝦夷のリーダーである、アテルイとモレにかなり手こずっていました。
そこで任されたのが、切れ者として有名だった田村麻呂でした。

3. 蝦夷の降伏
田村麻呂は彼らをなんとか説得し、降伏させ、京まで護送することに成功。
これでひと段落かと思いきや、朝廷からは「奴らは殺せ」と命令されます。
4. 朝廷の命令
田村麻呂は「降伏してくれたんだ、それで十分だろ!」
と必死に反発します。
しかし朝廷からしたら、
「このために、戦って死んだ兵士がいるんだぞ?処刑するだろ」
と主張。結局アテルイとモレはは処刑されました。
5. 蝦夷おこ
これに蝦夷の人たちは大激怒。蝦夷は朝廷を迎え撃つ気満々でした。
しかし朝廷では「そろそろ経済的にも危ないし、乱暴はやめよう」
となり、その後の討伐はありませんでした。
6. 田村麻呂の死
超優秀な田村麻呂は、54歳の時病気で亡くなりました。
その死を一番悲しんだのが嵯峨天皇でした。
嵯峨天皇は悲しみのあまり、仕事をほっぽり、彼を称える詩を作りまくったそうです。