北里柴三郎は、ノーベル賞受賞を日本に邪魔された!?【日本史雑学】

雷と呼ばれた男・北里柴三郎。
破傷風菌の純粋培養に成功した日本細菌学の父です。
彼はどんな人物だったのでしょう?
1.将来の夢は武士だった
本当は武士になりたかった北里。しかし、明治維新でなれず、、
そんな中、顕微鏡で見た人体組織に魅せられその道を選びました。
2. 世界で柴三郎争奪戦
ドイツで破傷風菌の培養に成功した北里は、世界から注目されました。
各国が大金をはたいて彼を自国に招こうとし、
アメリカは、年間40億円研究費、年収4億円もの大金を用意しました。
しかし北里は日本の科学進歩と国民の健康を守るという信念から日本へ帰国。

3.国内からは大批判
日本に帰国した北里、その当時の日本では、海外で活躍した輩は拒否!という風潮。
また彼は弟子の論文の間違えを指摘し、さらに周りから非難されます(実際その指摘は正しい指摘でした)。
その中でも特にやばかったのが森鴎外。
4. 森鴎外の嫌がらせ
森鴎外はとにかく自分より優秀な人物がいるのが嫌だったのでしょうか?
鴎外はペスト菌を発見した北里に噛み付きます。
「あんなんペスト菌じゃない!」という科学的根拠のない論文をだし北里を猛烈に批判しました。
(鴎外以外の日本人からも、そのような論文が溢れました)
また森は鈴木梅太郎という学者に対しても批判しノーベル賞のチャンスを潰しています。怖すぎ、、、
5. ノーベル賞受賞逃す
柴三郎は、第一回ノーベル賞受賞候補者でした。
しかし日本国内から叩かれまくっていたため、受賞を逃しました。
柴三郎がもし国から支援されていたなら結果は変わっていたかも、、
その後日本人がノーベル賞を初めて受賞したのは北里の死から56年後でした。

6 .諭吉先生大激怒、牛乳瓶事件
福沢諭吉は北里に期待と信用を寄せていたので、叱ったりすることはなかったそうです。
一回を除いては。それが牛乳瓶事件です。
北里は、養生園から毎朝牛乳を届けていましたが、ある日瓶の飲み口に毛のようなゴミが付着していました。
これに対して諭吉先生は大激怒。
北里を呼びつけて3時間みっちり(愛のある)お説教をしました。

・https://ja.wikipedia.org/wiki/北里柴三郎(アイキャッチ)