全裸で戦!?今では考えられない日本三大奇襲! 【日本史雑学】

日本三大奇襲とは、日本史上で最も優れた奇襲の3選
一つずつご紹介!
①河越城の戦い

河越城の戦い概要
北条氏康VS上杉合同軍の戦い。
上杉らの兵は8万人。対して氏康は、8千人しか集められませんでした。
しかしこの圧倒的不利な状況で、なんと氏康は勝利を収めます。
さて彼らはどのようにして、この戦に勝てたのでしょうか?
1.夜に襲う
上杉さん達は、兵数の差から、バチクソ余裕をこいてた。
夜になると、その余裕さから対策はより甘くなっていた。
そこに目をつけた氏康は、夜に攻め入ろうと考えました。
2. 裸で突撃
夜に襲撃するということで、なるべく静かに移動したかった。
そこで氏康は、兵士の鎧や兜などを脱がせました。
これには、身軽に戦えるというメリットもありました。
3. いざ突入!
氏康たちがいざ突撃すると、
案の定相手は大混乱。
「えなんで?!しかもそんなんもつけないで?!どう言うこと?!」
って感じだった。
4 .その結果
結果は、相手の負傷者が13000人。(氏康軍より多い!)
しかも、合同軍のうちの当主1名が討死しました。
相手の軍はもはや壊滅状態。
こうして氏康軍が勝利を果たしました。
いつの時代も、ずる賢さを持ったアイデアマンが活躍するのものですね!
さすが、相模の獅子と言われた男
②桶狭間の戦い
織田信長VS今川義元
三国を収める、今川氏。対して信長は、一国。
兵力の差も、経験値も勝る今川氏にどのようにして勝ったのでしょうか?
1. 今川混乱作戦
信長は、今川に寝返った家臣のふりをして、今川に織田軍の動きを知らせる手紙を送りました。
そうすることで、今川は「え?まだこいつ繋がってんのか?」と疑います。
予想通り、今川はその家臣を切腹させました。
2. 内通者
しかし本当の内通者は、他にいました。
信長はその内通者から、今川軍の状況を聞き出し、正確に
敵の本陣の位置を把握していました。
3. 天候
生憎の悪天候?いえいえ信長にとってもめちゃめちゃいい条件だった!
なんでか?それは悪天候のおかげで、今川軍本陣は結構荒れてたいました。
さぁあとはタイミング次第!
4. 今川予想外れる
今川軍は、2万5千の兵がいましたが、そのほとんどが、織田の砦に向かっていました。
そして、今川義元の元にいた兵士は手薄になっていました。
5. 突入だ!
そこに信長登場。守る兵がいない今川の首をとりました!
こうして、信長は勝利を収めました。
余談ですが、このとき今川軍にいた徳川家康。
彼は、戦いに敗れ切腹しようとしましたが、お寺の住職に助言によって助かります。
彼がここで死を免れたのは偶然でしょうか?それとも、、、?
③厳島の戦い
最後は、厳島の戦い。
毛利元就VS陶晴賢(すえはるたか)
河越城の戦いと同等、これもすごい軍数の差があった。
毛利4000人に対し、陶軍は2万人。
まぁご存知の通り、毛利さんが勝つんですけど、
その作戦をご紹介
【概要】
先にざっくり言っちゃうと、毛利は陶軍を
厳島におびき寄せ、そこで一網打尽にするという作戦でした。
この作戦実行には3つのポイントがありました。
1. 相手が大群であること
厳島は戦には狭い場所でした。
2万人の兵では、身動きをまともにとれないだろう。
そう思った毛利は、厳島を戦場に選びました。
2. 嘘で誘導
ではどうやって厳島へ誘導したのでしょうか?
それは、家臣の一人に「俺もう毛利を裏切ったわ。あいつ『ちょっと厳島で戦やられたら、もう勝ち目ないわ、、』って言っとったわ」と敵軍に嘘の噂を流させたのです。
3. 海賊から船を借りる
毛利は、陸におびき寄せた陶軍を、海から攻め入ろうと考えていました。
しかしそれには、船が足りない、、。そこで海賊に、1日でいいから力貸してよー!と
頼んで、船を出してもらいました。
そして戦い当日、あいにくの雨にも関わらず、毛利は夜明けまでじっと我慢した。
そして夜明けとともに、攻撃を開始しました。
案の定、陶軍は大混乱。こうして毛利を勝利を収めました。
その際に、陶軍の一人が厳島神社に火を放ちました。
毛利はそれを見て、戦中にも関わらず、
「敵のことはいい!厳島神社を守れ!神社をなくしてしまっては、末代までの恥」
といい、厳島神社を守ったという、なんとも漢気溢れる逸話があります。
・https://ja.wikipedia.org/wiki/北条氏康
・https://ja.wikipedia.org/wiki/織田信長
・https://ja.wikipedia.org/wiki/毛利元就