菅原道真はもともと学問の神ではなく、祟り神だった!?【日本史雑学】

道真は学問の神様として知られていますが、パッとした伝説とか、逸話とか、
あまり聞きませんよね。
彼はなぜ学問の神様と呼ばれているでしょう?
1. 左遷
道真は、今でこそ優秀とされていますが、当時の扱いはひどいものでした。
彼は藤原氏の策謀により、左遷させれらたのです。
そして左遷先で、彼は死を迎えました。

2. 祟り
道真の死後、都では異変が起こっていました。
道真の左遷に関わった人が、次々に死んでいったのです。
これは道真の祟りなのではないか?と噂されます。

3. 太宰府の建設
そんな時代に耐えかねた朝廷は、祟りを鎮めるために、
天満宮を建設しました。
それが今の北野天満宮です。
4. 学問の神様へ
時が経ち、そのような噂も風化しました。
道真は学問家系で、神童だったことから
学問の神様と讃えられるようになったと言います。

道真はこのようにして、学問の神様とされました。
後付けすぎじゃない?って感じですよね。
わかるそれな。バイバイ。
・https://ja.wikipedia.org/wiki/菅原道真(アイキャッチ)