平均身長155㎝!?原因分析と戦国時代身長ランキング

日本で平均身長が最も低かった時代は“江戸時代”
戦国時代(安土桃山時代〜江戸時代にかけて)でも十分低かったのですが、
日本で平均身長が最も低かったのは、江戸時代と言われています。男性の平均身長は155㎝でした。
1. 原因は動物性タンパク質の不足
当時は、「動物の肉はタブー」という風潮があり、現在より圧倒的に肉を食べる機会がありませんでした。
そのため動物性タンパク質が不足していたのです。
動物性タンパク質が不足したことで、骨が成長せず、結果として平均身長が低くなったのでしょう。
2. 鎖国が終わりで、平均身長が伸びた!
鎖国後の日本には、海外から様々なものが輸入されました。
その一つに牛肉があります。
文明開化によってすき焼きが流行り、日本人は肉食を解禁しました。
それから日本人の身長は伸び、現在に至ります。
3. 現在の世界の平均身長は?
現在世界の男性の平均身長は172.9㎝、女性は160.4㎝です
男性平均身長が最も低い国は、東ティモールの160.0㎝
最も高い国は、オランダで、183.8㎝だそうです。
女性の平均身長が最も低い国は、グアテマラの148.7㎝
最も高い国は、男性と同じオランダで、170.5㎝だそうです。
4. 日本の平均身長は伸びるの?
日本人の平均身長は残念ながら、現在停滞しています。
ある専門家によると、
「現在は栄養も十分取れているので、これが日本人の限界なのではないか?」
ということです。
戦国時代の身長事情
戦国時代の一般男性の平均身長は、158㎝でした。
現在が男性の平均身長172㎝、女性は158㎝なので、現在の女性の平均身長と同等になります。
では戦国時代の武将の身長はどうだったのか?
高身長、低身長別にランキング形式でご紹介します。
・背が低い戦国武将ランキング・

5位 源義経 147㎝
古文書の記述にもあるように、義経は小さかったようです。
その身軽さから、義経の動きは俊敏であったと思われます。
またコンビとしてお馴染みの、弁慶は208㎝と推定されており、
この二人は身長差60㎝でした。

4位 池田輝政 140㎝
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた優秀な武将です。
彼の武勇伝に、輝政の首を取った元敵軍である家康とのくだりがあります。
戦争がひと段落して、敵軍であった家康との間柄が良くなったときのことです。
輝政は家康に、
「父を討った永井直勝の恩恵が少なすぎます!もっと大きな手柄ですので、永井にもっと報酬をあげてください!」
と直訴したそうです。

3位 豊臣秀吉 140㎝
豊臣秀吉については、身長の説が色々あります。(曖昧で申し訳ありません。。。)
この記事では、イエズス会の宣教師フロイスが残した『フロイス日本史』の記述を元にしました。
その中には「秀吉は身長が低く、また醜悪な容姿である」と記述されています。
外国人から見たからじゃない?という意見もありますが、容姿についてはあの信長も指摘しています。
秀吉の容姿についての他の記事もチェック!↓
豊臣秀吉、実はつけ髭だった!!【日本史雑学】
豊臣秀吉のヒゲは実はつけ髭だった! なぜ彼はつけ髭をつけていたのか、、?

2位 山県昌景 135㎝
武田四天王の一人で、見た目からは力強い感じがしますよね。
しかし実際に、彼の身長は130㎝〜140㎝くらいです。
それでも昌景は、上杉軍の猛将・鬼小島弥太郎に
「花も実もある勇士」と評価されるほど、強く勇敢な武将でした。

1位 徳川綱吉 124㎝
生類哀れみの令でも知られる綱吉が、
映えある一位という結果になりました。
現在の小学二年生くらいの身長です。
この当時にしても小さいので、低身長症ではないか?という説もあります。
低身長の武将はいかがでしたか?
身長も加味してみると、さらに歴史が面白く感じることができます。
さぁ続いては、高身長ランキングです!
・背が高い戦国武将ランキング・

5位 直江兼続 182㎝
直江兼続は、上杉謙信に仕えていました。
彼は『常山紀談』の中で、
「大男で、百人にもすぐれたるもったいにて、学問詩歌の達者、才智武道兼たる兵なり。」
と評価されています。
つまり、高身長で頭も良く、文武両道という完璧人間だったのです。

4位 前田利家 182㎝
豊臣政権の五大老の一人ですね。
彼はその体格の良さに加え、武器は6.3mの長さがある長槍を使っていました。
そして14歳の頃、織田信長の部下として参戦した初陣では、敵の首をあげました。
これには信長も「肝に毛が生えている」と驚いたそうです。

3位 豊臣秀頼 195㎝
豊臣秀吉の息子である秀頼は、195㎝の高身長に育ちました。
一般的には、秀頼は秀吉の実子であるとされています。
しかし、親子でここまで身長差があるからでしょうか?
実は秀吉の子供ではなかったのではないか、という説も提唱されています。
またその他の理由の一つに、秀吉の体質にありました。
彼はあまり子供には恵まれない体だったのです。

2位 斎藤義龍 197㎝
父である斎藤道三を破った、“マムシの子”です。
彼の体格の良さは、母親からの遺伝かもしれません。
というのも、実は彼の母である、稲葉氏がとても大きく、
181㎝ほどあったといわれています。
また彼女はとても美しく、今だったらモデルになっていたかもしれませんね。

1位 武蔵坊弁慶 208㎝
先ほどネタバレしてしまいましたが、映えある一位は武蔵坊弁慶です。
画像の右側が弁慶ですね。
この画像は、五条大橋で牛若丸である義経と出会い、対決をした時の絵です。
弁慶と有名人の方を身長を比較すると、
バスケットボールで有名な八村塁さんが203㎝なのでそれよりも大きいことになります。
ましてや、平均身長が今より15㎝以上小さい時代にそれだけ大きいとなると、見た目だけでも相手を圧倒していたことでしょう。
そんな大柄の男が、小さな義経に仕えていた姿は、漫画の世界のようですね。
強くて、大きい戦国武将いかがでしたか?
この中にお好みの武将はいらしたでしょうか?
この記事をきっかけに、身長を加味して歴史を見てみると、
より歴史が面白くなるかもしれません。
ぜひ試してみてくださいね!
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・https://ja.wikipedia.org/wiki/源義経
・https://ja.wikipedia.org/wiki/池田輝政
・https://ja.wikipedia.org/wiki/豊臣秀吉
・https://ja.wikipedia.org/wiki/山県昌景
・https://ja.wikipedia.org/wiki/徳川綱吉
・https://ja.wikipedia.org/wiki/直江兼続
・https://ja.wikipedia.org/wiki/前田利家
・https://ja.wikipedia.org/wiki/豊臣秀頼
・https://ja.wikipedia.org/wiki/斎藤義龍
・https://ja.wikipedia.org/wiki/武蔵坊弁慶
・https://www.photo-ac.com/main/detail/1144076?title=長さを測る