【大学受験日本史】第一次世界大戦はなぜ起こったの?その背景とは!

第一次世界大戦は当時早々に終わるだろうと考えられていました。

しかし、第一次世界大戦とも言われるような大戦に発展しました。

それはなぜか?当時のヨーロッパでは何が起こっていたのでしょうか?

第一次世界大戦のキーポイントは、やはりヨーロッパの火薬庫『バルカン半島』です。

きっかけはサラエボ事件と言われていますが、ここでは、もう少し遡りましょう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/バルカン半島

1908年 青年トルコ革命

当時のバルカン半島は、オスマン帝国の支配下でした。

しかしこの頃には、オスマン帝国の弱体化が露見していました。

そこで立ち上がったのが、「青年トルコ」。

青年トルコはオスマン帝国の専制政治を、立憲政治へ。

そして軍事政権を樹立しました。

青年トルコ革命:https://ja.wikipedia.org/wiki/青年トルコ人革命

では、オスマン帝国がわちゃわちゃしてる間に何が起こったか?

ブルガリアが独立し、

『パン=ゲルマン主義』のオーストリアがボツニアヘルツェゴビナを併合してしまいました。

それに一番怒った国は、パン=スラブ主義の中心勢力『セルビア』でした。

その理由はボツニアにはセルビア人がたくさんいたからです。これにより反オーストリアの体制ができました。

1911年 イタリア=トルコ戦争

イタリアがバルカン半島を狙い、オスマン帝国に宣戦布告しました。

結果はどうなったかというと、イタリアが勝ちました。

それによってイタリアはオスマン帝国から領土を得ることに成功しました。

それを見ていた諸外国は、「え?俺らもいけるんじゃね?」と思いますよね?

そうして同盟を組むことにします。それが『バルカン同盟』です。

バルカン同盟とは、セルビア、モンテネグロ、ブルガリア、ギリシアの同盟です。

1912年 第一次バルカン戦争

そのバルカン同盟がオスマン帝国に宣戦布告

それを見ていたロシアは、バルカン半島側を支援しました。

なぜロシアはバルカン半島側を支援したのか?

それはロシアが、黒海から地中海への航行権を取得するため、オスマン帝国に攻撃していたためです。

またロシアのセルビアと同じく『パン=スラブ主義』を掲げていました。

結局この戦争は、バルカン同盟が勝利。

ロンドン条約を結び、オスマン帝国よる、バルカン半島の支配が終わりました。

さてこの戦争で、勢力を伸ばしたのは、どこの国でしょうか?

それはブルガリアでした。

1913年 第二次バルカン戦争

ロンドン条約で、戦争に勝ったバルカン同盟は、オスマン帝国から得た領土を分割しました。

それに不満を唱えたのが、ブルガリアでした。

不満を抱いたブルガリアは、その不満をセルビア、ギリシアに侵攻という形で表しました。

ちょっと勢力を伸ばしたブルガリアは少し調子に乗ってしまっていました。出る杭は打たれる。

ブルガリアの勢力拡大は恐れた、オスマン帝国、モンテネグロ、ルーマニアは、セルビアとギリシアの方に着きました。

そのおかげで、ブルガリアはあっさり負けてしまった。

負けた方の宿命として、領土を明け渡さないといけません。

勝利した国々はブルガリアの領土を分割するのですが、そこでまた衝突が起こります。

セルビアとモンテネグロがその領土分割に不満を抱いたのです。

さぁこれがどう影響してくるのでしょうか?

そして負けたブルガリアはというと、このままでは終われない。

ドイツとオーストリアに接近します。

ドイツもオーストリアもバルカン半島を狙い、バルカン半島は一触即発でした。

そのため『ヨーロッパの火薬庫』と呼ばれていました。

1914年 サラエボ事件

オーストリア皇太子が首都ボスニアを訪れている時、セルビア人に暗殺される事件が起こります。

オーストリア政府はさぞ悲しみにくれ、、、ない!!

これを絶好のチャンスと捉えます。

それはボスニアにいる、パン=スラブ主義のセルビア人の運動を抑えるチャンスでした。

サラエボ事件の暗殺場面:https://ja.wikipedia.org/wiki/サラエボ事件

1914年 第一次世界大戦

オーストリアがセルビアに宣戦布告しました。

オーストリアはなぜ宣戦布告したのか?それは支援国が現れたからです。

オーストリアと同じくパン=ゲルマン主義を掲げるドイツです。

そもそもパン=ゲルマン主義とは、ドイツ人を集結させようという主義です。

そして、それを疎ましく思ったのが、パン=スラブ主義のロシアでした。

ロシアは自分たちもバルカン半島で勢力を拡大したいんやが?ドイツに取られてたまるかよと考え、同じくパン=スラブ主義のセルビア側につきます。

しかし、ヨーロッパの火薬庫の本気はここからです。

ロシアが参戦したことで、ロシアと三国協商を組んでいた、イギリス、フランスも参戦します。

イギリス、フランスがドイツに宣戦布告しました。

オーストリア・ドイツの方には、セルビアにボコボコにされた、ブルガリア、オスマン帝国が参戦しました。

こうして、

セルビア・イギリス・フランス・ロシア

         VS

ドイツ・オーストリア・ブルガリア・オスマン帝国

の戦争となりました。

この図を見て、「え?アメリカとか日本はなんで?」と思う人は多いと思います。

日本にも様々な思惑がありました。

それは続きの記事でチェックしてみてください。

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高校三年生の人

高3の夏まで

高校三年生の夏は日本史でも超重要です。

なぜなら、実戦形式の過去問演習を始める時期だからです。

少なくともその時までには通史を終わらせておく必要があります。

そしてさらに進んで勉強を行いたい人は、夏までに演習を始めておくといいでしょう。

高3の夏から共通テストまで

高3の夏からはひたすら過去問演習を行いましょう。

質の高い過去問演習を行えていれば、論述でも共通テストの対策にもなります。

そして、共通テストの直前期1ヶ月前から共通テストの対策を重点的に行いましょう。

センター試験の過去問や模試の演習など、実戦練習を行うことが重要です。

共通テストから本試験まで

本試験まではひたすら過去問演習を行なってください。

共通テストが終わってからの1ヶ月は日本史が一番伸びる時期です。

本来であれば絶対に添削を含む演習が高3の始めから必要ですが、少なくともこの時期にはつきっきりで見てくれる先生を見つけましょう。

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