『驚くべき武田信玄の性格』現代並みのトイレを作っていた!

今や水洗でウォシュレット付きの暖かい便座のトイレが主流ですが、数十年前の日本では、ほとんどがぼっとん便所でした。

数十年前でもまだまだ今とはかけ離れたトイレが使われているほどですから、戦国時代のトイレは相当発展していなかったのでしょう。

そんな中で武田信玄だけはトイレにめちゃくちゃこだわっていました。

トイレの歴史

平安時代には、貴族は樋箱(ひばこ)を使用していました。

糞尿を肥料として再利用するようなったのは、鎌倉時代からでした。

後に、深い穴を掘り用を済ませるとその上に砂をかけるスタイルが生まれました。

武田信玄のトイレ

普通のトイレは、掘った穴の周りに石を並べた一坪ほどのものでした。

しかし、武田信玄のトイレは彼のアイデアにより、一風変わったものになりました。

まず信玄のトイレは広かった!

京間6畳ほど。

現在の6畳よりかなり広いです。

何事にも慎重であった信玄は、排泄中に壁から槍で突かれても刀を振って対抗できる広さのあるトイレがほしかったのです。

武田信玄の時代ハズレのトイレ

彼のトイレはなんと水洗でした。

排泄後に鈴を鳴らすとお風呂の残り湯が流れてくる仕組みになっていたのです。

この時代から匂いに気を遣えた感覚は当時の人からは新鮮だったでしょう。

匂いに気を遣ったことがさらにわかるエピソードもあります。

武田信玄はトイレには香炉を置き、伽羅(きゃら)を炊いていたようです。

香りを絶やさぬよう朝昼晩、家来に番をさせるほどの徹底ぶり。

これぞ、トイレの芳香剤の元祖です。

武田信玄のトイレの過ごし方

これほど広くて清潔なトイレなため、信玄は読書をしたり作戦を練ったり、書類に目を通したりと、執務までトイレで行っていました。

入り口には箱を設置し、その中に訴訟問題についての原案を入れていたそうです。

ちなみに、流した汚物から敵に自分の体調を察知されないよう、わざわざ鯛に食べさせていたとか!

彼のまじめな性格がよく分かりますね。

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