江戸時代は3000万人!?旧国別の人口ランキング【日本史雑学】

日本の人口調査が行われたのは、徳川吉宗の時代が初めてでした。
それらの文献や研究によると、日本の江戸時代の人口は3000万人前後です。
江戸時代の人口が特に多かった藩、そして時代別の日本の人口をみてみましょう。
江戸時代の人口と原因
江戸時代の人口は、3000万人前後です。
人口が安定していた理由の一つは、戦争の少なさでした。
徳川が統治を始めてから、内戦はほとんどなく、さらに鎖国政策をとっていたことから、対外戦争もありません。
戦争は、若者が多くなくなるので人口減少の大きな一つです。
その戦争がなかったことが、江戸時代の人口の安定につながりました。
一方で、3000万人で”前”後していたことからもわかるように、江戸時代の人口は減少している年もあります。
この理由は、飢饉です。
農業生産力の向上のおかげで江戸時代にかけて人口は増加しているものの、農地が十分に増加しなかったことから天候に左右されて飢饉が多く発生します。
これらの飢饉によって時には人口が減少することもありました。
江戸時代に人口が多かった国ランキング

人口統計が始まった1721年時点の藩ごとの人口ランキングを紹介します。
第1位:陸奥 約196万人
第1位は陸奥の約190万人です。
陸奥は現在の青森県に位置しています。
人口が多かった理由としては、藩の面積が大きいこと、そして農地が多かったことがあげられるでしょう。
第2位:武蔵 約190万人
武蔵国は、現在の東京都が位置する場所です。
人口が多かった理由としては、将軍のお膝元だったことがあげられます。
諸藩の大名は、人質として妻を江戸に住まわせるようにしていた上、武士階級の人が多く居住していました。
よって、裕福でたくさん消費する人が集まっていたので商人達も集まりました。
武蔵国が栄えていたのは、言うまでもないでしょう。
第3位:越後 約93万人
第3位は越後国です。
越後は、現在の新潟県に位置しています。
新潟県では、現在も米の大きな生産地となっていることからもわかるように、天候が稲作に適しています。
面積も大きいことから、陸奥国が人口が多いのとほとんど同じ理由で、第3位に輝きました。
江戸時代に人口が少なかった国ランキング
第1位:松前 約1万5千人
松前は現在の北海道です。
北海道は、面積は広いですが人間の居住できる地域は少なく、大きな都市はできませんでした。
さらに、文化的にも独自の発展を遂げていたことから、農業生産力の発達などが遅れ、人口が伸びなかったと考えられます。
第2位:対馬 約1万6千人
対馬は、 現在は長崎県に属する島です。
現在も人口は約3万人とあまり多くありません。
人口は少ないながらも外交上は朝鮮との交易において大きな役割を担っていました。
人口が少ない国ではありますが、島として一つの国に数えられるほど大きかったと言えるでしょう。
第3位:隠岐 約1万8千人
隠岐は、同じく島根県に属する島です。
朝鮮や中国との交易が多かった日本にとって、九州北部の島は重要な拠点だったのでしょう。
島ながらも対馬と同じく1万人以上の人口を抱えていました。
日本の時代別の人口
ここからは、補足として古代の日本の人口を見ていきます。
しかし、本格的な人口調査は行われているはずもなく、あくまでも古代の出典からの参考値です。
飛鳥時代
約390万人。
出典は、『大日本国古来人口考』
奈良時代
約450万人。
出典は、『行基大菩薩行状記』
飛鳥時代
約390万人。
出典は、『大日本国古来人口考』
鎌倉時代
約490万人。
出典は、『高祖遺文録』
戦国時代
約490万人。
出典は、『香取文書』
1700年の人口が3,000万人だと言うことを考えると、この数字はあまり現実的ではないように思えます。
おそらく、農民や地方部の人数を過小に数えていたんでしょう。
今話題の本
知らないとがっかりされる日本の歴史 基礎中の基礎
日本史を超手っ取り早く学べる話題沸騰の本がこちら!
なんと税込250円!!
kindle unlimited に登録している人は無料!
「日本人ならぜひ知っておいて欲しい」が詰まった本です。
日本の歴史、読み直してみませんか?
東大日本史から学ぶデキる人なら当然してるかしこいサボり方
東大の日本史の問題、見たことありますか?
本当に入試か!?と思うような問題が例年出題されています。
東大の入試で聞かれているのは、まさに「生き抜く力」
受験生たちを東大入試に勝ち抜かせるために体系化した、賢くサボるためのメソッドを大紹介!
現在困難に立ち向かっている人、これから立ち向かう人は必見です。
こちらもkindle unlimited に登録している人は無料になっています!!